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2A3 コンデンサトール 2Pとは、ソビエト連邦で開発された、406mmカノン砲を搭載する自走砲である。4輌がつくられ、1956年から1960年にかけて運用された。2A3とはGRAUによる呼称である。 == 概要 == 2A3は、冷戦中に開発開始された車輛である。これはアメリカ合衆国が、新規な戦術ドクトリンに基づき、ペントミック師団と呼ばれる、核砲兵部隊を含む核兵器を重点的に運用する部隊を創設したことが原因であった。核砲弾を運用するM65 280mmカノン砲は1952年に開発され、1953年には西ドイツに配備展開された。この対応として、ソビエト連邦は、核砲弾を発射可能な406mm自走砲を開発する独自の計画を開始した。これはコードネームがオブイェークト271と呼称された。 グラビン設計局では1955年に砲本体とその運用システムを完成させた。その後すぐ、オブイェークト271の車体が、レニングラードに所在するコトリン設計局にて完成された。砲と車体の完成形は軍事工業呼称2A3を受領し、1956年にはレニングラードのキーロフ工場にて完成された。総生産数はわずか4輌である。 西側のオブザーバーは、1957年、赤の広場において行われた軍事パレードでこの新兵器を最初に目撃することとなった。当初オブザーバーたちは この兵器は抑止効果のためのモックアップとして作られたものであると考えた。 コンデンサトールの就役期間は例外的に短いものとなった。兵装の広汎な試験に終止符が打たれた後、高度司令部砲兵隊の予備に任命された。ニキータ・フルシチョフの軍改革がおこなわれるまで、これらの車輛はその任務にて運用された。軍の改革は、スターリン時代に形成された超重砲兵および重戦車部隊よりも、もっと効果的なミサイルシステムを選ぶものであった〔''Armas "raras" de la Guerra Fria'' Retrieved 21 August 2010〕。 全4輌のコンデンサトール自走砲は1960年代中ごろに退役した。1輌はモスクワに所在する中央兵器軍事力博物館にて展示状態に置かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「2A3 コンデンサトール 2P」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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